本当の意味の廊下は寝殿造りの中には生まれていなかったが、廊下的なものは寝殿と寝殿をつなぐところに発生していた。寝殿造りというのは、いくつかの寝殿が、中庭(坪という。壷とも書き、桐壷というのは桐の植わった中庭に面したところに住む女性の意味)をはさんで前後左右に並び、それぞれに儀礼用とか、父用とか、母用とか、用途が分かれていたが、それらをつなぐ通路が必要で、それを。廊とか。渡殿と呼んだのである。分化した住機能をつなぐための通路という定義に照らすと、寝殿造りの。
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廊こそ、その名からしても廊下の原点ということになる。鎌倉、室町時代に入り、寝殿造りが書院造りに進化すると、ひとつ建物の中に廊下が出現する。書院造りの中で、天井と畳と障子、フスマに囲まれた部屋というものが初めて成立し、当然ながら、それらをつなぐ廊下が生まれる。といっても、現代のわれわれがイメージするような、板張りでパッと続くようなカタイもんじゃなくて、たいていが庭に張り出す縁側の兄弟としてあるか、フスマで仕切られた広い部屋と部屋の間の暗く細長い部屋としてあった。書院造りの成立によって部屋が出現したといっても、なんせその部屋はご承知のように、障子とフスマというペラペラの紙で仕切られているだけで、開ければすぐ一室化するというファジーなものであるからして、廊下の方もファジーであることをまぬがれない。人は、庭に面した廊下を通ることもあれば、フスマを次々に開け、部屋を廊下として進むこともある。